どうも。猫のくにから来た女です。
2011年に母、2021年に父が他界しましたが、18歳ですぐ親元を離れたのもあって、長年同居していた人に比べるとどこかドライな関係性だったと思います。
ところが父の他界から2年経つ今、なんとも言えない気持ちに襲われることが増えてきました。
ネガティブなニュースや情報をキャッチしやすくなり、ママ友と話していても「日本の未来は暗い」みたいな後ろ向きな話題ばかりあえて切り出す自分に変身したのです。
「大丈夫?ちょっと”うつ”っぽくない?」と言われることもありました。
本人的には自覚してないのですが、良い意味で言えば落ち着いた、年相応の考え方になったような気もしましたが。
そこで今回は、『親の死は性格を変えるシリーズ第2弾』を書こうと思います。
親の死は性格を変える!?「なんとなく空虚モード」になる
もともと根っこの部分では子どもおばさん系のわたしですが、親の死によって前のような能天気さはなくなりました。
ふと、えもいわれぬ空虚感に包まれる時間が増えたのです。
最初のころ(亡くなって1年以内)は
「もうこの世に親はいないんだな。具合悪いまま生きてたら生きてたで心配だし、でもいなくなるとそんな心配は無用になるかわり、どこかシンプルになりすぎて寂しいな」
という感じでした。
その後、近所や街で人を見かけると「この人もいつか死ぬ。それはどんな人も同じ。ならばなぜ人は頑張ったり、いがみ合ったり、愛し合ったりするのだろう」
と思うようになりました。
若い学生や社会人を見ると、いろんな悩みがあって大変だよな、、
だけどあっという間に時は過ぎ去る。親の人生、自分の人生ってなんだったんだろ…。な~んて。
ちょっとだけ達観!?しちゃったような感じです。
人の一生ってなんだろにゃ
「年相応」になっただけじゃないの?と田舎の友人
田舎の友人には親と同居したり、それにともなった介護生活をしたりする人も多くいます。
そんな立場や環境にいる学生時代の友人に「親の死後から自分がどんどん変わってく気がしてるんだよね」と相談してみました。
すると、「やっと年相応になったんだよ」という思いがけない言葉が。
「そう?うつとかじゃないかな?」
「べつに普通じゃん。うつっぽい日もあるってことじゃない?」
うむ。確かに同居や介護で年老いた親と対峙している人は日々実感しているのかもしれない。
変化を受け入れ、病気や死を受け入れる。同時に自分も大人になっていく。
孤独感を覚えることも多いだろうし、そんな中で笑顔が出る日もあれば泣いてしまう日もあるのが人間でしょ?という意見です。
ホルモンバランスとかもあるな。
親の死は性格を変える!?大嫌いな父大好きな母が逆転した?
母の死から12年、父の死から2年が経ち、親それぞれの人生を客観的に考える日も増えてきました。
話が通じて面白く、優しく大好きだった母の存在が薄れ、厳しさや考え方の違いから衝突が多く、逃げるように離れた父の存在が濃くなってきたのです。
どちらもクセのある人間には違いなかったですが(笑)、今思えば彼らは必死に生きていたし、わたしを育てるのに試行錯誤しながら、期待しながら、やがて諦めながら頑張っていたなと。
特に父はかなりの貧困家庭に育った人で、それが原因で学歴をつけられなかった中で勉強し、公務員試験に合格した努力家。
1から、いやゼロからお金を貯めて家を建て、借金もせずにさらに貯蓄をした『実はすごい人』だったことも知りました。
そのぶん、厳しくて窮屈、論理立てて説明しないと通じない頑なさがある人でした。
時に大声で怒鳴られたり、手を上げられたりしたのが嫌で、反発の引き金になった感じです。
子どものわたしの「お願い」や「おねだり」はいつも却下された印象があり、正直毒親だと思っていた部分もあります。
父の『すごい自立心』でわたしが成長できた
節約や貯蓄、勤勉さのおかげで家族が成り立っていたこと、そのためかなり厳しい発言が多かったこと、だけど一人っ子であるわたしに依存することが全くなかったのが父です。
母は年齢を重ねるごとに愚痴っぽくなったり寂しそうにしていたりすることもあり、
『(本音では)実家に戻って欲しい』発言が増え、帰省するたびに重く感じてあまり帰らなくなっていました。
そんな中で父は、一人っ子だからと言って実家に縛られる必要は無い。
たいした家柄でもないし、自由にしていい。
一度きりの人生、親のせいで棒に振ったと恨まれるのはまっぴらごめん。
しっかり頑張って、自分の食い扶持は自分で稼げるようになりなさい。と言っていました。
本音は寂しかったかもしれないけれど…。
●慎重派ながらも勤勉で物事を俯瞰できる父への憧れ●
父はたくさん本を読み、自分だけのものさしで人や世の中を判断しないことが大切だと良く話していました。
ですがそんな父が煙たく、口を開けばお説教されるような気がして父の考え方の逆へ逆へと人生を進めていったわたし。
思いつきで行動し、若さゆえの怖いもの知らずで都会で過ごした十数年の経験は、父への反発が原動力になっていますが今となっては良い思い出にすぎません。
一時期は借金だけが残って人間関係のつながりはなくなりました。
でも結局一周まわって、「逆こそ真だったのではないか?」と思ったのです。
その影響か、大人になってからたくさん本を読むようになりました。
お金をかけずに散歩して季節の移り変わりを楽しんだり、そんな日常の中にも学びがあると感じています。
親の死は性格を変えるが真の自分の人生のスタートでもある
親と合わなくて家を出て離れても、一人っ子で家を継がなくても、最期を看取ることができなくてもなんとかなります。
もし親や家に縛られて悩んでいる人がいたら、思い切って離れて後悔のないように生きることをおすすめします。
恨みながら無理してそばにいるよりも、離れたからこそ最終的に親に感謝できたケースがわたしです。
そのため、自分の子に老後の面倒を看てもらおうなどみじんも思いませんし、
「子どもは親の思い通りにはならない。むしろ真逆に突き進んでいく」というのを身をもってわかります。
親の死を後悔せず前に進むには自分の価値観を大切に
人によっては親のそばにいることが自分の人生にとって大切だと考える人もいるでしょう。
家族は一緒に暮らすべき、一人っ子ならお婿さんをもらって家を継ぐべき、という考えを大切にしている人は田舎・都会を問わずいます。
感謝の思いや恩返しとして介護することを重要視する人もいるし、老人ホームに入れるなんて罪悪感を感じてできないと考える人もいます。
親がそれを求めているかどうかは別にして、自分のキャパシティでできるかどうか、無理がないかどうか、本当にそれでいいのかを自問してください。
世間体を気にして「べき・ねば」に縛られては後々キツイです。
自分の人生に輝きを与える行動をえらぼう
まとめ:親の死は性格を変えるのか本質にもどるのかわからない
どんな人も必ず最後は死にます。
親の死によって間違いなくわかったことはそれに尽きます(笑)
今は長生きの人が増えて、アラフォーやアラフィフであっても100歳近くになった祖母が普通に生きているという人も少なくありませんが…。
親がもうこの世にいない。
いくつになっても親がこの世に生きているという状態は、なんとなく心のよりどころになっていたんだなぁ~と失ってみて初めてわかりました。
高齢になっていろいろおぼつかなくなって、立場逆転?な瞬間もありましたが、生きている限りはなんとなく親の目が光っているというか親は親だなと。
また心境や考え方の変化や気づきがあったら、第3弾も書くかもしれません。
予定は未定ですが。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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