どうも、猫のくにから来た女です。
2011年に母、2021年に父を亡くし、1人っ子のわたしは実家の売却も完了。
「帰るところがなくなった感」に包まれて過ごしています。
母はまだ68歳でしたので、まだ早いよ…という切なさと、友達みたいに何でも話せる仲だったのもあり、亡くなったときは心に穴が空いたようでかなりしんどかったです。
その10年後に84歳で父が亡くなりましたがコロナの問題があり面会ができず、死に目にも会えず、葬儀もリモートという想像もしなかった最期でした。
「この世にもう両親は存在しないのだな」とヒシヒシと実感する毎日の中で、
「あれ?なんかわたし性格変わった?」「ひょっとして父、守護霊になったw?」
などと思うことが増えてきました。なんとなく強くなれた気がします。
親の死によって性格や死生観、人生観が変化する人は少なくないようですので、関連した情報も織り込みながら、あくまでも個人的感想を中心に書いて行こうと思います。
親の死によって思考も変わる?最愛の母の死で凹みまくる
18歳で実家を出て一人暮らししてからも、帰省のたびに「よくそんな話すことあるね」と父に笑われるくらい話しが尽きなかった母とわたし。
臨機応変、ざっくばらんが信条の専業主婦の母は、派手さはないけど明るくチャーミングな人でした。
そして、片づけが苦手で物が捨てられなかった母。
母亡きあとの実家は母の私物だらけで、母の空気を感じさせるものばかり。悲しみが深く落ち込んでいた父は、気持ちの整理も兼ねてトラック数台分の不要品を処分しました。
(いわゆるマキシマリストの母は貯金もわずかでしたが楽しい人生だったのかも!?)
友達みたいに楽しい母には何でも話せたのに対し、口数が少ないのに怒るときはガミガミ系の厳しい父が残されたので正直、
「なんでお母さんが先に死んじゃうのよ!」と思ったぐらいです。
親との別れについて書かれた記事はコチラもどうぞ。
その後父は自分の終活に力を入れ始め、顔を合わせれば『死んだ後の話』ばかりで口げんかになったりもしました。
母の死後に孫が生まれて父が元気を取り戻した!
母が亡くなった後、父はまわりがドン引きするくらい大泣きし、憔悴しきっていたので「独り暮らし大丈夫かな…」と心配でした。
そんな父を見た親戚たちは「奥さんに先立たれた男性は数年で亡くなる人も多いね」なんて影で言ったものです。
しかし、そんなときわたしの妊娠が発覚。(約4年間の不妊治療の末)
「この子は母の生まれ変わりかも!」なんて思ったものです。
母が亡くなった年の11月に息子が無事誕生しました。
するとそれまで「終活」ばかりしていた父が、遠くはなれた私の家まで赤ちゃんを見に来たのです。
もともとITには詳しかった父。スマホを格安SIMに替え、LINEアプリを導入、テレビ電話で毎日のように孫の顔見たさの通話生活。
PCに孫の動画や写真を保存してDVDにまとめてニヤニヤ。それまで孫の話しかしない友人にウンザリして距離をおいていたのが立場逆転したそうです。友達を呼びつけて思いっ切り自慢(笑)。
適齢期で生まれた彼らの孫たちは「おじいちゃん離れ」の時期に入っていたから、それはそれは羨ましがられたそうです。
父はみるみる元気になって行きました。
母の死からなぜか父との距離が深まった
孫がきっかけになったのもあり、わたしは父と良く話すようになりました。
相変わらず終活話はベースでしたが、母の不要品を処分したあとは家全体の整理をさらに進め、すっきりシンプルな生活を始めたのです。
「今流行りのミニマリストじゃん…」
年に数回帰省したときも、父一人になってからの方が家の中が綺麗でビックリ(笑)
物が多いと、つまづいて転倒して怪我にもつながるし、年を取ると体力も落ちるから、物の多さを解消するだけで身も心も軽くなれるんだとか。
夫婦でいたころは母への遠慮やお互いの拘りへのすり合わせなんかもあって、物が捨てられなかったんでしょうね。
父の性格が嫌だったがだんだん見方が変って行った
母の死をきっかけに、数十年間会話らしい会話をしなかった父との距離が縮まり、
父はもともとミニマリストであったこと、見栄を張らずとにかく節約して家を建てたこと、終活の一環として不要品処分だけでなく人間関係も整理したことなどを聞いてすごく共感しました。
(お金に関してはすごく金利の良かった時代の人なので、貯金で増やせたことはまったく参考になりませんが…)
「投機的なものには絶対に手を出さないように!」という言葉の意味も今では理解できます。
無駄遣いが多く無計画なわたしを心配して、あえて厳しいくしていたこともわかりました。
お小遣いもあまりくれなかったので、そのぶん自分で頑張って働くことを覚えました。
その間に父は入院費や葬式代もしっかりと自分で蓄えて準備していたのです。
『自分の面倒は自分で見る』が信条だった父。母も大好きだったけれど、父の生き方って素敵だったなと思えてきました。
2020年11月父が病魔に襲われた…
毎日のようにLINE通話でやりとりしていると、体調が思わしくないという言葉が出始めました。
年齢的にも80歳を超えていたので、かかりつけ医にマメに相談するなど対策していましたが2020年11月、1度目の救急搬送ののち、入退院を繰り返すようになります。
世の中はコロナ真っ最中。
入院に立ち会えず、お見舞いも一切NG。ヘルパーさんが出入りしていたので、実家にも勝手に入れないほど、当時は厳しかったのです。
入院生活の連絡もすべて電話でやりとり。書類等もすべて郵送。毎日のように看護師さんから電話で状況報告がありました。
入院費や介護保険の手配、ヘルパーさんを介した対応もすべてリモートです。親せきの方に病院まで届けものをしてもらい、一時的退院の引き渡しなどもお願いしました。
とことん面会できないため不安過ぎて、退院時は一時的に住める老人施設を手配しましたが、どうしても居られず家に帰りたがってトラブルになってしまい断念…
母も父もせん妄がひどい体質のようで、自宅以外の場所では夜中に混乱して暴れる傾向にあるようです。(わたしも自分の将来で同じようになるかも…と気になっているポイントです)
そんなことを繰り返しながら入退院を繰り返しました。
2021年6月 会えないまま父が亡くなったが不思議と後悔はない
孫が生まれてから、メキメキ元気になった父の10年間は、それまでのわたしと父の親子関係をまるで別のものに変えてくれました。
コロナの影響で思うように最後を看取ることはできませんでしたが、母の死、孫の誕生を機に父とわたしの心の距離はグンと近づき、それは亡くなった今も変わらないからです。
生前何気なく言われたことも、その時はイラッと来たけれど今ではしっかり守っています。
「実家の押し入れに引き継ぎたい事を書いた終活ファイルがあるから。」
と言われて「なにか感動的なことが書いてあるかな?」とも思いましたが、
その中身は死後の手続きに必要な書類、家の売却の担当者のTEL番号、司法書士…
いっさい感情のこもったコメントは書かれておらず、「父らしいな」と。
家もすぐ売却するようにとのことで、亡くなった1ヵ月後には手続きを開始し、3ヵ月後には売れました。(田舎の一軒家で決して好立地ではない場所なのでリフォームしたり駐車スペースを増やしたりしました)
わたし1人の知識や行動力では難しかったと思います。
一見事務的な終活ノートは、すべてが役に立つ内容ばかり。父と一緒にもろもろの作業を処理していた感じで、安心できました。
人はみんな死ぬ。だけど毎日を大切に生きたくなった
父の死から1年以上が経過した現在、以前のわたしとは違っているようです。
余計なものをできるだけ処分し、必要なもの以外は買わない。
好きなものを手入れしながら大事に使う。見栄を張らない。
嫌なことはしない。
だけど掃除や整理整頓は「まるで父が憑依したかのように」好きになりました。
これは大きな変化です。シンクに洗い物をためこんでいても平気だったのが、いまではすぐに洗えるようになったことに驚いています。
そんなこんなで、良い意味でわたしも終活をスタートさせようかな?なんて思っている次第です。
父の死後入院先の私物には新品のトランクスがギッシリ
親の死後は淡々と暮らす日々が続き、前のわたしよりもイライラ、ソワソワする時間が減って行きました。
認知機能の低下がみられると医師・看護師に告げられていた父。入院中は酷い『せん妄』があらわれたため、身体拘束あり、おむつ装着で過ごしていました(これらは入院の度に同意書が送られてきました)。
亡くなったときに駆けつけてもろもろの手続きをしてくれた親戚によると、
「お父さんの私物、新品のトランクスがいっぱい入ってた。自分でトイレに行ける様子だったけど病気の症状とか病院の事情でおむつになってたのかね…」
と言われました。ここらへんはちょっと切ないお話ではありますけどね。
まとめ
親の死は性格を変えるか?というと変わる部分が多いなぁという感想です。
母が大好きで友だちのような親子でしたが、一方でそれまでは気づけなかった父の生き方の魅力、お金についての考え方、ミニマリスト的行動などが自分が求めていた理想だったことがわかりました。
亡くなったあと、「化けて出てるんじゃないだろうか…」と思い、死に目に会えなかったので「むしろ出てきてくださいな」という願いを込めて、
夜中に父のスマホの電源を入れて、鏡の前でそれを持って電話してみるなどしましたが何も起きませんでした(当たり前か)
親が亡くなったあとの人生があと何十年か続くのでしょうが、ここからがまた新たなスタートなんだなという思いも生まれてきました。
最後までお読みいただきありがとうございました!

にゃんきゅーです!
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