どうも。猫のくにから来た女です。
かなり前(たしか2017年ごろ)に何気なく目にした詩が、自分にとってものすごい心に響き、
ずっとなんだっけなんだっけと思い出す作業をしながら日常を送っていました。
もちろんググってみたのですが、片手間だったせいかなかなか見つからず、、、
先日やっと見つけたので忘備録的に残しておくとともに、この詩がなぜ好きなのか、
この詩からわたしが得たものは何なのかなどについて解説します。
「努力は実を結ばないのね」という新聞に載っていた詩が好き過ぎる
これです。ちょっと画像が小さいので以下に書いておきますね。
『努力は実を結ばないのね』
虫歯で苦労しないよう仕上げ磨きを欠かさなかったのに、今じゃ歯磨きしない男に。
毎晩本を読み聞かせていたのに、今じゃケータイ以外の文字は読まない男に。
保育園や学校の給食表を冷蔵庫に貼り、献立が重ならないよう手作りしていたのに、今じゃカップ麺大好き男に。
環境のために親子でエコ活動していたのに、今じゃ一面ごみの部屋で暮す男に。
少子化バンザイ。こんな理不尽な母親になれなんて、未来ある人に絶対言えない。劣等感いっぱいでわたしは卒親する気満々だ。
ただ、あふれる愛で、大切な存在を守ることに必死だった自分。
幻でも一時それがあったことに感謝している。
卒親にあたって息子らにひと言。
「努力が全く実を結ばない世界があるってこと、教えてくれてありがとう」
有名な著作でもなく、多くの母親に感動や涙を誘う詩ではないところがめっちゃ共感するのです。
賛否両論ある詩だし、わたしが子どもの立場だったら違う感想を持ったかもしれません。
でも、なんだか愛にあふれているし、どれ一つ、わたしができていないことだから(笑)
わたしは現在10歳の男の子を育てていますが、親のわたし自身がすぐに「もうやだ」と
諦めてしまうので、仕上げ磨きも食育も、エコ活動もほぼ挫折しているのです。
読み聞かせは「自分で文字を読むのが苦手」なので今も継続中ですが。。
「息子ら」とあるようにお子さんは1人ではないみたいなので、1人っ子育児にアタフタしているわたしはそこでも尊敬しかありません。
努力は実を結ばない世界は絶望しかないのではなく愛で溢れている
子育てに限らず、個人的には大人になってからの努力は実を結ばないことが多いかもと思います。
でもそれは絶望しかないのではなく、この詩の後半で「あふれる愛で大切な存在を守ることに必死だった自分」を振り返る作者は素敵だなと思うのです。
Twitterなどを始めとするSNSでは、子育てや母子に関する感動的な詩がバズっていますが、
それが辛さをアピールするものであっても、結びは子どもに感謝していたり怒り過ぎて寝顔に謝ったりと「綺麗に締めくくられている」感じに、
ひねくれ屋のわたしはどこかフラストレーションがたまるのです。
だからあまり見ないようにしてるかも(笑)
でもこの詩は違う。この詩はとても潔い。
卒親宣言する辺りも素敵。
無責任だとは思わない。放棄ではなく、子離れしないと親離れもないから。
「うまくいかないよね~ったく!」と言いながら生きて行く。
それがとても人間らしいと思うし、実を結ばなかったじゃないかチックショー!と言いつつ、
子どもを大人になるまできちんと養育しただけものすごい立派だと思います。
その努力、実を結んでるのでは?
「努力は実を結ばないのね」の宝庫、接骨院のカーテン越しの会話
1~2週間に一度、接骨院で身体のメンテナンスをするわたしですが、
治療に癒されて健康になるメリットはもちろん、ほかの患者さんと施術者の会話をカーテン越しに聞くのが楽しみで通っている部分もあります。
その内容は大抵、「努力は実を結ばないのね」的要素が多いので好きです。
自分の体の弱みを預ける場所だからなのか、年配者が多いからなのか、
愚痴を吐きに来る人が多いみたいで(笑)
「子どもためいろいろやったけど、結局無駄だったのかも」的な話は定番になっています。
塾代全部使い込まれていて全然通ってなかったとか、すごく良い大学出たけど何度も転職して安定しないとか、ろくでもない嫁と結婚して失望したとか…etc
●それでも生きて行く●
あと、年配の人だと急に誰かが亡くなったという話も定番です。
正月明けに受診したときには、餅を喉に詰まらせて急死した人の話に始まり、
「●●さんも実は餅で逝った」「うちのお爺ちゃんもきっかけは餅」などとやり取りしていて、不謹慎だけど笑いが込み上げるのを我慢するのが大変でした。
それぞれの人生があるだろうし、いろいろ努力をしてきた人も多いだろうけど必ず最後は1人で亡くなっていく。。。
思ったようにならないのは子どもだけでなく自分自身もそうなんですよね。
でも接骨院に通って自分の体をいたわったり、痛みを軽減しようとしたりして人間って努力家だなと。
愚痴であってもネガティブでも実はものすごく生命力に溢れているんですよね。
ガス抜きだいじ。
「努力は実を結ばないのね」と心から言えるのは努力したから
「なにやってもうまくいかない」というヒット曲のおしまいに、
「何にもやってないからじゃない?」という台詞がボソリと入っていますが、多くの人がコレなんだと思います。
頑張ってるのに!なにやってもうまくいかんのじゃ!とポイっと投げ出してしまうスピードが速すぎて結局なんにもやれてない。
ググれば何でも分かってしまう(ような気になる)生活が身についているせいもあるのかな。
そんな人に比べて、
「努力が実を結ばなかった…ハァ」と長い年数が経ってから言える人は、意外にスマホやYouTubeに興じる時間も少なく、結構努力した人が多いと思うのです。
なんだったんだろう、もっと努力すればよかった!と後悔するよりもずっと素敵で人間らしい。
まとめ
この詩が新聞に掲載されたのち、SNSを始めとするあらゆるメディアで取り上げられ、
一部ではプチ炎上のようにもなっていたようです。
親のエゴで勝手に手を尽くしたと思っているとか、そんな事言ってないで子離れしろとか。
子ども世代や若い親世代からはそんな厳しい声も多かったようで。
反面、この投稿者と同世代で大きな子どもを持つ母親からは、共感とか笑いが起こっている。
読む人の立場によってまったく違う。
親のエゴと言われれば、それは確かにそうなのかもしれません。
親は子どものためと言って実は自分の幸せのために頑張っているのがほとんどだからです。
自分がよかれと思っていることが正しいと信じているのが人間だし、それを教えたいから。
信じていることを時には疑いながら進んで行きたいですね。
しかし、小さな子どもにとってものすごい大きな存在の親でも、やがて親を超え、離れるものです。
多様性バンザイのワチャワチャな世の中でしぶとく生きて行こう、
なるようにしかならないけど生温かく子どもを見守ろう、
そう思えたきっかけが「努力は実を結ばないのね」という詩だったのです。
読んでくれてありがとにゃす。
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