人にはいろいろな顔があることに気づけないと自分も他人も破滅します

生き方

猫のくにから来た女です。

わたしは20代のある日、大きな気づきを得ました(大げさ)

それは「人にはいろいろな顔がある。もれなく自分自身も親や友だちもそう。」という大事実。

これに気づいてから気力・体力・能力が上がったとさえ感じます(再度大げさ)

人にはいろいろな顔があるのはあたり前という人もいれば、

別の顔を持つなんて不謹慎だと思う人もいるでしょう。

なぜ人にはいろいろな顔があるのか、気づくとどんなメリットがあるのか、気づけない危険性についても解説します。

人にはいろいろな顔があることに気づいたのはWワークがきっかけ

人にはいろいろな顔があることに気づいたのはWワークがきっかけ

会社づとめをしてた時、「給料が足りないからWワークしよう」と決めて

東京都内の隠れ家的なお蕎麦屋さんでアルバイトをした時期が3年半ほどありました。

この時、自分も他人も持ってる顔は1つじゃない事に気づきました。

一般の方から経営者、芸能人まで、幅広いタイプのお客さんと接することができたおかげです。

さらにプラスして、以下のようなメリットがあったのです。

  • 仕事とバイトでは違う自分になれた
  • 仕事で嫌なことがあってもバイトで接客すると気持ちを切り換えられた

Wワークを始める際、周りの友人に相談すると、

「疲れてストレス増えそう。メインの仕事に支障出るからやめな」

反対意見を喰らいましたが、Wワークしても疲れたのは意外にもほぼ体だけでした。

昼間の職場は女性ばかりでドロドロな人間関係もあったものの、そこに執着する時間が減り、

「悩みが薄まったような感覚」に包まれて楽に。ストレスも圧倒的に軽くなりました。

 

Aでの評価は最低だったけど、Bでは案外楽しく過ごせた。みたいに多面的で客観的に考えられるように変わっていたんです。

 

 

バイト行くから、ダラダラ残業や同僚との飲み会もしなくなったし。

 

人はいろいろな顔を使い分けて生きているのが一般的です

人にはいろいろな顔があると言うと多重人格や嘘つき、裏や闇の顔があると捉える人もいるかもしれませんね。

だけど人がいろいろな顔を持つことは一概に悪いとは言い切れないと思います。

大人になると自然にいろいろな顔を持ち、使い分けるようになるのはごく一般的です。

例えば以下のような感じになります。

  • 親や子など家族として
  • パートナーとして
  • 友人として
  • ママ友として
  • 生徒として
  • 先生として
  • 経営者として
  • 社員やアルバイトとして

このほか『場面』によってもさらに顔を使い分けるのが人間です。

もしも、全く使い分けずすべて素で対応してたら・・・トラブルだらけになって大変ですよね。

 

一人の人間でもいろいろな顔を持ってるもんなんだにゃ。

 

 

 

人がいろいろな顔を持つことを「自分に許す」と可能性が広がる

人がいろいろな顔を持つことを「自分に許す」と可能性が広がる

いやいや社会的立ち位置と、人がいろいろな顔を持つこととは意味が違う!

人は裏表なく誠実に生きなきゃならないでしょ?という真面目人間は要注意です。

物事を思い詰め過ぎたり、自分の顔は一つだと決めつけすぎると考えが凝り固まってしまいます。

学校や会社でいじめ等を受けたり、恋人に振られた時などに

「ああ、もう一貫の終わりだぁぁぁ!!」と思ってしまうのは

学校や会社、1人の恋人やパートナーなどが人生のすべてになっているのが大きな原因です。

いくつでも逃げ場があり、いろいろな顔を持って別の居場所もつくっておけば

「学校は合わないけど、学校以外で話せる人がいる」
「会社では上手く行かないけど、家族仲が良くて幸せ」
「あの人にはブスって言われたけど、この人には魅力あるって言われた」

などと違う視点で生きられるようになり、他人だけでなく自分で自分を許せるようになるのです。

 

辛い環境から逃げたい自分もいるよ。それがベストな時もあるね

 

いろいろな顔を持つと自分や他人のダークな部分も受け入れられる

いろいろな顔を持つと自分や他人のダークな部分も受け入れられる

いろいろな顔を持つのが人間のスタンダードだと気づくと、

自分や他人の中に価値観の違いやダークな部分を垣間見たときにも見方が変わります。

SNSなどでは毎日のように、芸能人や著名人だけでなく一般人でも『特定の人』が

「こんなひどい人だと思わなかった!」と不特定多数の人から叩かれています。

面白がってるようにも見えますが、叩いている人の中には真剣に怒ってるケースも多く、

「お前は間違ってる!許せない!」と頭から煙を出して正義を振りかざすから厄介です。

これが行き過ぎると受けた人のダメージが大きすぎて悲しい結末を迎えてしまいます。

自分の価値観に合わない人を『全否定してぶっ潰す』考えはとても恐ろしい。

それが自分に向けられたら?あるいは自分で自分にその感情を向けてしまったら…?

自分にもダークな部分は絶対的にあるのです。隠したい欲望などもあります。

もしかしたら、自分ができないことをやっている人が羨ましいだけなのかもしれないのです。

SNSで誹謗中傷を目にして気持ちがザワついたら「見ないようにする」のも良いでしょう。

 

許せないことが多い生き方はすごく疲れそうだニャ。

 

まとめ

人にはいろいろな顔があると言われると、ある程度歳を重ねた人なら、

「そんなことわかってる。何をいまさら、改めて考えることでもない」と

きっぱり言い切るかもしれませんね。

あるいは、人生経験豊富だから他人に対して自分は寛大だと自信を持ってるかもしれない。

だけど、なぜか気づけば多数意見に軽々と同調して特定の誰かを叩いていたり、

正義感や教育と称して、周りの人や家族、子どもに自分の意見を押し付けたりしてませんか?

人間にはいろいろな顔があり、あなたにもいろいろな顔があるのです。

いつ・どこで何をきっかけに新しい顔が出てくるかは…誰にもわからない。

いろいろな顔を持つ他人も自分も許して認めてあげましょう。

 

きっともっと自由に楽に強く生きられるにゃ。

 

 

 

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