どうも、猫のくにから来た女です。
わたしは幼いころからなにか考え出すと心の声なのか脳の声なのかぐるぐる考えて止まらない人間です。
専業主婦だった母は、根気よく子どもの話を聞いてくれるタイプの人で、否定するでもなく肯定しすぎるでもなく「うんうん」と聞いてくれる人でした。
うんと幼いころまでは…
自動思考・ぐるぐる思考が始まったきっかけ、今思えば…
わたしは昭和40年代生まれです。
テレビっ子世代で、いろいろなドラマやアニメが流行っていて、今思えばとても活気のある時代に子供時代を過ごしていたんだなぁと感じます。
そんなテレビなどからの影響も自動思考のきっかけにつながっているのかな?と思うので挙げてみます
ひとり言で始まるドラマ、主人公の心の声が忙しい
ザ・昭和なドラマは幼いわたしのあこがれのロールモデルとなりました。
主人公は心の声がやたらとウルサイ。あーだこーだ、自意識過剰で「わたし可愛い、うふっ!」と笑っていたかと思えば、すぐに傷ついてどよーんと落ち込み、自分を攻めまくり。
さみしければすぐに誰かにすがり、よせばいいのにあえて悪い男との恋愛になだれ込んでしまったり、振り回してるのか
振り回されてるのかわからないジェットコースターな毎日。
『人生って波乱万丈なほうが刺激があってステキ!』とまるっと勘違いしていきます。
勉強もせず、ドラマやアニメ漬けの毎日でしたので、その世界と現実とのギャップで日常がどんどん色褪せて見えていた記憶も強いです。
「あーあ、なんか面白いことないかな・・・」が口癖。
自分の人生にストーリー性が無ければつまらないと信じていたのです。
自動思考がすごすぎてついに母親が怒り出した!
小学校高学年にもなれば、友達と待ち合わせして出かけたり、約束して遊びに来てもらったり相手の家にでかけたりという機会も増えてきます。
しかし、携帯やスマホがなかった昭和時代には突然の遅れやキャンセルを確認できるまでにめっちゃ時間がかかります。
人気のある友人はダブルブッキングしてしまって待ち合わせ場所に
現れないこともしばしば、そのたび打ちひしがれて帰ってきては、母親に愚痴を浴びせます。
「そんな何十分もボサッと待ってないで、何分待ってこなかったら家に戻って電話でもしたら?ずっと戻ってこないから心配したんだよ」
と言われましたが、「だって…」
と始まって「こんなに待たせるのはわたしを嫌ってるから」とか「わたし何か悪い事したかな」とか「絶対来る、楽しみにしてるって言ってたのに」「わざやったのかな」
などずーーーーーーーーーっと同じことを延々と話し続けるのです。
時に怒りながら、時に悔し泣きしながら。お母さんオツカレサマデス…
「もう、いい加減にしなさい」
母親が静かに言いました。そして、
「確かに待ち合わせに来ない相手にも問題があるから、一度気持ちを話してみたら?
陰であれこれ想像して言うの、良くないと思うよ。
でも実際あなたの時間を奪われたんだから、悲しい気持ちもわかる。でもお母さんは何もしてあげられないんだよ。」
🎵子供の喧嘩に親が出る~ってね。親は口出しできないのよ。と。
のんきに歌う母親を尻目に、わたしはずっと同じ件について考え、勉強も手に着かず、宿題も忘れて怒られ、ますます落ち込むというパターンにハマります。
切り替えろ。
思春期のコンプレックスでますます自動思考・ぐるぐる思考体質に
飛びぬけて身長が低かったわたしは(今も小さいです)、
「チビな分、足短いからきっとビリだな」と運動会のスタートラインに立っているときに意地悪な男子から言われました。そして、実際ビリになる。
するとチビ~チビ~とからかうのは男子だけでなく、今一つ気の合わない一部の女子からも言われるようになり、
なんとなく、キュッと萎縮するような姿勢、あまり体を動かさずにじっとしている、みんなと一緒に立っていて小さいのがわかるような場に居たくないと思うようになりました。
気にしているからそんなオーラが出るのか、「何センチ?」と身長を聞かれる場面もなぜか増え…。
中学生になると制服を着て小学生の集団登校の間をくぐっていかなければならず、
「ちっちぇえ~~~~!あれで中学生!?」と男の子がからかいます。
またギューッと体(と心)を縮こまらせてしまいました。
今は「そんなこと言っちゃダメ!」と注意する子がいたり、そもそも容姿いじりイコールいじめという教育が定着したりして、アカの他人にこんな言葉を投げる子は少なくなりましたけどね。
身長が低いから辛い、自分を受け入れられない、辛い…ぐるぐる
それでもやがて一緒に学校に通う仲間ができ、通る道も変わったのでからかう小学生は気にならなくなりました。
友人にめぐまれ、仲間内では身長でいじってきたりからかってきたりする人はいません。
逆に小さいのもかわいくていい、むしろ小さい子にあこがれるという友人も引き寄せたりして
やがておしゃれも好きになり、好きな人もぼちぼちできたりしました。
でも、好きな人は人気のあるスラリと背の高い女子が好きらしい…
ああ、終った。チビだから無理なんだ・・・わたし圏外だ。
またぐるぐるが始まったのです。
身長って努力で必ず伸びるものでもないからな
友達や彼氏ができて自動思考はおさまってくるものの…
そんなわたしでしたが、ひょうきんな性格のおかげか友だちに恵まれました。
恋愛はなかなかうまく行きませんでしたが、好きになってくれる人も現れ、少しずつ心がホッコリするような、安心できてやがて自信につながるような良い流れに変わっていきました。
でも、友人関係も恋愛もやはり人間関係です。
良い時もあれば悪い時もある。
思い通りにならないどころか、誤解されて”もつれて”しまうこともあるのです。
そうなると、また自動思考が頭をまわり始めます。
なにか嫌われるようなことしちゃったかな…
言っちゃいけないこと言ったのかも…
どうしよう、どうしよう…ぐるぐるぐるぐるグルコサミン
友達ガー、彼氏ガー。自分どこ行った?
自動思考が止まる瞬間を見つけた!掃除!ダンス!
人間関係の悩みは少ない方ではあったものの、普段平和な分、波風が立つと超ビビリましてぐるぐると自動思考が始まってしまいます。
そんなとき、マイブームだったのが部屋の片づけや掃除。
子どもあるあるですが、勉強しなきゃというときに限って「こんな部屋じゃ集中できないから、まずはお片付け!」と思い立って片付けて終っちゃうというヤツ。
でもこれがなかなか精神的には良かったみたい。
まさにリセットできるんです。
子どもながらに良い習慣だったなと思っています。
そしてもう一つが入った部活で始めた『ダンス』
運動神経はあまり良くないのですが、音楽が好きでリズム感はわりとあったので、思ったより苦労せず楽しめたのです。
すると先輩に、「なんか肩すくめちゃって肩が内側に入ってるよ。ちょこちょこ手先で踊っててもったいない。胸を開くようにして、動きをもっと大きく意識してみて」
と教えてもらい、やってみると実際の身長よりも大きく見える動きができるようになりました。
小学生時代から、キュッとシュンと萎縮してしまっていた上半身が開かれて、リズムに乗って踊ることで気持ちも活発的に!
普段の動きも少し自信ありげになるというか、体も引き締まって洋服選びも楽しくなったりして。
少しずつ前向きになっていけました。
この辺りから、まぁ成長が止まったのもありますが身長への酷いコンプレックスはほぼ消え、
「自分なりにバランスよくおしゃれを楽しもう。体を鍛えると気持ちがなんだか安定するなぁ」
などといろいろな気づきがありました。
まとめ
幼いころから高校生くらいまでの自動思考について書いてみました。
いわゆる中二病だから仕方ないかなってところもあるし、当時流行っていた主人公が自分語り系のドラマの影響、自意識過剰で気にしすぎ、みたいなところも大きな原因かと思います。
運動や掃除などで体を動かすことによって「あれ!?今ぐるぐる考えるの止まってた!スッキリ~!」という爽快感を味わえたのが良かったです。
その後はバイトや仕事などでも立ち仕事や客商売系が多かったので、体を動かして前向きになれる感覚を味わえました。
しかし、恋愛や仕事での人間関係のストレスによる散財などでやがて自動思考が復活することに…
でも、なんかコレ、変な癖みたいになっているというか、、、
自虐的気持ちよさ?があることにもうすうす気づきはじめたのもこのころです。
メンヘラチックですよね。
いまはこの本をきっかけに楽になってきています!
つづきはまた!
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